完璧じゃない私たちのための、小さな完全
共有
「焦らないという美意識、整えるという品格。」
最近打ち出しているこの言葉は、どこか凛としていて、
読むたびに、少しだけ背筋が伸びる響きがあります。
それは、振る舞いを正すための言葉ではなく、
「焦らない在り方を選びたい」という、内なる意志。
また、「整える」という言葉の奥には、
暮らしや所作ににじむ品位のようなものが、確かに含まれている。
美しい言葉だと思います。
同時に、志の高さも感じる。
けれど、ふと立ち止まる瞬間もありました。
——この言葉に、私はふさわしいだろうか、と。
もしこの言葉が
常に余裕で、乱れず、完璧でいよう、という意味だとしたら、
それは少し、息の詰まる美学かもしれない。
けれど最近、私は気づいたのです。
このキャッチフレーズには、
もっと柔らかなもう一つのメッセージが隠れているのではないか、と。
目指すことに、そのまま意味があること。
今のあなたのままでも、ちゃんと美しいということ。
まるで、そっと手のひらを添えるような優しさが。
そんなことを考えていた矢先、
忘れられないひとつの場面に出会いました。
⸻
弦楽四重奏会を聴きに行った日のことです。
演奏の途中、
ほんの一瞬、会場の空気が揺れました。
誰かの楽譜が、床に落ちたのです。
長い蛇腹状の楽譜が、
パラパラと音を立てて床に広がる。
ほんの数秒の出来事でしたが、
張り詰めた沈黙が、確かにありました。
落としたのは、第1パートのバイオリニスト。
その瞬間、隣に座る第2パートのバイオリニストが、
ためらいなく自分の楽器をそっと置き、楽譜を拾い上げました。
演奏は止まらない。
誰も慌てない。
音楽の流れだけが、静かに守られている。
そして、楽譜を落としたはずの第1パートのバイオリニストも、
表情ひとつ変えず、演奏を続けている。
私は、その光景に息を呑みました。
メインパートを奏でる第1バイオリニストの演奏を止めてはならないという
即座の判断だったのか、
暗黙の了解だったのか。
理由は分からないけれど、
美しく奏でられる音色以上に、
心が強く揺れたのは確かでした。
ハプニングという「不完全」の中で、
チームとして演奏を成立させる、
プロフェッショナルの矜持を見た気がしたのです。
⸻
完璧とは、ミスがないことではない。
あの楽譜が落ちるという出来事があったからこそ、
彼女たちの完成度は、より際立って見えました。
人は、不完全なものの中にこそ、
「完全」を感じることがある。
きっと、こういう瞬間のことを言うのだろう、と。
ここまで書いて、
私はふと、自分自身に問いかけました。
私は、何を自分に求めていたのだろう。
「焦らないという美意識」を掲げながら、
本当は、焦らないために、
自分に完璧さを求めすぎていたのかもしれない。
ミスをしない私。
乱れない私。
いつでも余裕のある私。
きちんとしている私。
けれど本当に美しいのは、
そういう理想像ではなくて、
不完全な出来事が起きても、
また、静かに自分へ戻ってこられる私なのではないか。
整えるという品格は、
最初から整っている人のための言葉ではありません。
崩れてしまったときに、
もう一度、自分を迎えに行ける人のための言葉。
焦らないという美意識もまた、
焦らない人になることがゴールなのではなく、
焦ってしまう自分を否定せず、
そっと落ち着く場所へ戻してあげられること。
その姿勢こそが、美意識なのだと思います。
もう、自分自身に完全を求めるのはやめよう。
不完全で、欠点もたくさんある自分こそが、
もしかしたら、今の私の完成形なのかもしれない。
そう思えたとき、
不思議と、心がほどけました。
⸻
うまくいかない日があっても、大丈夫。
不完全のままでも、私たちは美しい。
完璧じゃないって、完璧だ。
1件のコメント
品格ある文章に、背筋がぴんと伸びました。そして、その後に、温かいものが胸に広がりました。
まさに、私も目指したい世界です。
素敵なメッセージをありがとうございます。